リズムトレーニングの必要性を考えてみた

練習のはなし。
エスラジを事故で左手に変えてからやっと少しずつ練習で、手が動くようになってきた気がする。私のエスラジの師匠は、とにかくフォームと指使い、正しいチューニングに力を入れてくれる。逆に楽しくこの曲を弾きましょう♪って言うのではない。徹底的に基礎を入れてくれようとしている。それに対して自分は考えながら弾くのでひとつやると、忘れてしまったり本当ばかだなぁと思うのだけどそれでも懲りずに教えてくださる。先生のフォームが自分に100合うかはやっていかないと分からないけど、自分はチューニングとフォームがこの楽器の全てだと思うのでありがたい。
あぁ、耳がよくなりたい。あぁ、リズムキープできるようになりたい。。よくなりたいとかいってる時点で自分はダメだ。ダメと思ってるのもダメ。だってトレーニングしかないんだもん。練習や演奏の不安はそれでしか取り除けない。
楽しいと思う瞬間がくるまでには色んな道を通らないといけないんだよね。
自分の人生なんて宇宙のほーんのちっぽけで自分のもってる感情なんて、塵の一片にも満たない訳だけど、それでも声でもって音でもってそんな事を考えられる瞬間を待ちわびてる訳です。   

リズムって入れてしまうと一見、型にはまって自由ではなくなった気がしてしまう。

だけど、自由なんてそもそも存在してなくて、
誰もが何もかもが宇宙でさえも、[何か]の枠の中に存在している

哲学ではなくて当たり前のこと。
その[何か]があるから存在していられる。
システムは別。
産まれてから死ぬまで決してこの枠から逃れることはできない。これは悲観でも何でもなく、
それ自体が美しいのだと思うことにしている。
それでもって、これがリズムの一部であるとも考えられる。

なので、リズムって其れくらいの重要な役割を担っているんですよね。
そんな気がしています。
なので、テンポキープが正しくなければその中で動いている音も自由であって自由でない感じ。 遠心力によって衛星が回っているのと同じでリズムによってルールを作り、その上でやっと自由になれるんだ。

私は苦手なのでトレーニング中。
体感っていうのは人によって違うもので、
キープしてるつもりが引力によってひっぱられ、あれ?走ってるじゃんってことになる

一人走ったら他もつられる。それで更にはしる。
そこでメトロノームさん。
がんばってキープ、キープ、キーポンラニン。。

してるつもりが、あれ?スタジオでどっちだ?どっちが走ってるんだ?!ってことになる。

自分がずれてるって認識しないと多分いつまーでも走る。
死ぬまで走る。
上原ひろみがトリオの時言ってたもんな。
絶対自分が合ってる!だれがずれてるか勝負しよう!みたいなこと。
でもなんか分かる。 自宅ではできてるんだし自分じゃない、とか思うけど でも歌の先生がいってた。[かっこつけたい、緊張してる]状態の時は走るって。精神状態にすっごい左右されるよね。
とにかく練習でできないことは本番ではできないんだよな。


32 34 52 54 53 72 74 73とその逆の練習をしようと思う 


綺麗な景色がみえる感覚と思える音は師匠エスラジの師匠が一音出したときみたいに。先生がシタール弾いた時みたいに。
宇宙の、原子の記憶に戻れる時間が少しでもあったら
私はもう少し生きていけるかなぁ。

道のりは長いけど。


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