なぜ私はエスラジを始めたのか 沈黙から音への旅
「なぜエスラジを始めたのですか?」
よくそう聞かれます。
でも、それは簡単には答えられない質問です。
私は長い間、声楽を学び、歌うことが人生の中心でした。けれど、ある時から歌えなくなりました。原因は身体ではなく、心の深いところにありました。
10代の頃から、私は尊厳や安心を奪われるような経験を繰り返してきました。若くして子どもを失ったこともありました。その体験は、今でも私の中に傷として残っています。
私はPTSDを抱えながらも、音楽だけは手放せずに生きてきました。音楽だけが、私を生かしてくれていたのです。
ある時、有名な音楽プロデューサーのもとで学んでいたとき、心と体がもう歌を受け付けなくなってしまうような出来事がありました。歌おうとすると、吐き気がしてしまう。かつて私を癒してくれた歌が、今度は私を傷つけるものになってしまったのです。
それでも、音楽から離れたくなかった。
そこで私は、歌以外の手段で音楽とつながる方法を探し始めました。
そのとき出会ったのが「エスラジ」という楽器でした。本当はディルルバを学びたかったのですが、日本には先生がいませんでした。インド大使館に問い合わせたところ、ある先生を紹介されました。
それが、私のインド古典音楽との最初の出会いでした。
最初は古典音楽に興味があったわけではありませんでした。「古典はやりたくありません」と先生に伝えたこともあります。けれど彼は「一度だけやってみて」と言いました。
私は古いエスラジを5万円で購入し、毎日練習を始めました。週に1度のレッスンにもまじめに通い、自分なりに一生懸命学びました。
しかし、そこでもまた、私だけに向けられた不適切な言葉や性的搾取の態度に悩まされるようになりました。
他の生徒にはそんなことはありませんでした。
私は心の中で「言葉だけなら我慢できる。触れられなければ…」と自分に言い聞かせていました。
でもある日、「胸を触らせろ」と言われたとき、私は完全に絶望しました。
「もう通えません。傷つきました」と伝えると、
「誤解だよ。またいつでも来ていいよ」と言われました。
――性的な言動が、どうして“誤解”で済まされるのでしょう?
私は、またしても“人間”としてではなく、“対象”として扱われたことに、恥ずかしさと怒り、深い悲しみを感じました。
それでも、諦めたくなかった。
彼らに、音楽まで奪わせたくなかった。
だから、私はエスラジを弾き続けています。
世の中の多くの人は、何度も傷つけられてきた人間が、どうして音楽だけを支えに生きているのか、理解できないかもしれません。
でも私にとって、音楽だけが「本当の感情」を感じられる場所なのです。
私は今も生きています。
今も弾いています。
感情を麻痺させないと過ごせない日もありますが、それでも私は、音楽とともに前に進んでいます。
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